高光養鶏場は広島県の中央部、
東広島市豊栄町にあります。
東広島市は古くから日本の三大銘醸地と
讃えられる酒都・西条を擁します。
その北部に位置する豊栄町は、
瀬戸内海と日本海への川の流れの分かれ目のてっぺん、「分水嶺」に当たります。
山からしみ込んだきれいな伏流水で、
鶏たちは元気に育っています。
創業者の高光香は、戦死した父親に代わり
「母・姉・妹・祖母」の面倒を見つつ、
旧豊栄村で農業を営んでいました。
農閑期の冬場は、数カ月間県内に出稼ぎに出る
暮らしぶりでしたが、女手だけでは厳冬は乗り切れず、
地元に居ながら稼げる仕事を模索し、
辿り着いたのが「養鶏」でした。
愛知県・豊橋の研究農場に住み込み研修を受けた後、
昭和38年に現在地・豊栄で養鶏場を建て
スタートしました。
幸いなことに、研究農場の師は、飼育研究の専門家であり、自ら考案した新たな構造の「マルト式標準鶏舎(開放鶏舎方式)」に倣い建築。天窓にて換気が非常に良いが、鶏には直接風が当たらず、また屋根も通常より60cm高く、夏でも熱がこもらない画期的な構造。鶏の健康を考えた飼育の原点がここから始まっていたように思います。
昭和58年に裏山を伐採・整地し、「日当たり・排水・自然の風の動きによる換気」条件を整え、鶏舎を新築し、羽数も増羽。以後、卵価の下落に苦しみ、卵の品質向上に重きを置いた生産にシフト。ストレスを溜めない一羽飼いケージに全て変更し、羽数も4,000羽に減らしました。
平成3年に、直販体制を作るため、広島県内初めての「卵の自動販売機」を導入。最初はなかなか売れずも、とにかく新鮮な卵を入れ替え続け、徐々に認知度が上がったことで、直販比率を上げることができました。
平成17年、父の想いを汲み、長男の高光哲哉(現代表)が脱サラし事業を承継。
平成27年に鶏舎を改修。近年では卵の自動販売機店も改修・増設し、さらに直販に力を入れています。
「卵は生で食べた時に違いがわかる」と言われます。タカミツ卵は創業時からずっと“生でおいしい卵”を目指して営んできました。卵を生で食す習慣は日本独特の文化。特に「卵かけごはん」は根強い人気です。平成23年に地元で開発されたご当地丼“へそ丼”と共に、もっと美味しさを広めていきたいと思っています。
「食は命」。今の養鶏を柱にしつつ、恵まれた農地を活かして農産物を作り、自国の食糧自給率向上につなげたい。鶏や羊たちと農業による資源の循環を図りながら、持続型の営農フィールドを作り、夢のある“田舎づくり“を行っていきたいと考えています。